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Amuhara Living

暮らしをアクティブに楽しむ

夫にうつを理解できてきたと言われた時の感情と愛することの難しさについて

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人を愛することは難しい。

 

「『ツレがうつになりまして』を観たんだけどさ、夫婦でちゃんと支え合って生きていかないとなって思ったよ。いろんなことを考えさせられた。」

「そうなんだ。いろんなことって?」

「夫婦のこととか、うつのこととか。今までぼんやりとしかわかってなかったから。どんなもんかちょっとわかった」

「そう。。うつは本当に辛いからね。もう、絶対に、ぜっっったいに、あの頃には戻りたくない。だから今もまた再発しないようにいろいろ頑張ってる」

「うん。でもそんなに頑張りすぎなくていいからね」

「!?うん。」

夫がうつを理解できてきたらしい

上の会話は先日夜に夫と話した内容である。夫がうつへの理解をしたらしい。本来なら嬉しいところのはずが、聞いた時は複雑な気持ちだった。だから夜も更けていたこともあってそこからは特に話さず横を向いて寝た。

複雑と言ったが本当はこう思っていた。「いまさら何!?私が辛かった頃忙しくしてて、私は一人で頑張ってたのに。理解もしなければ調べたりもしなかったくせに!」

だけど黙っていた。忙しいのも分かっていたしうつになったことのない人、ましてや自己肯定感最強レベルの夫に、うつ状態がどんなものかなんて理解できるはずもないことを分かっていたからだ。ここに悲しさがある。

だからこそ私はその分かってもらえない悲しさ・悔しさを抱えながら、一人で(本・心理学などを頼って)全身全霊をかけて闘っていたのだ。

自分自身で自己管理できるようになって元気を取り戻してきた頃、「良かったね!」と言われたが腑に落ちない感じだった。私の中ではかなりの大冒険をしてきたような気分だったから「そんなもんか」と思った。

「もっと分かってほしいなと思った」。

どん底からここまで回復したこと、自分で逃げずに前を向いてまた歩けるようになったこと。責めるつもりはなかったが「ねえ、これはすごいことなんだよ!一番苦しかった1月は〇〇はあんまり興味持ってくれなかったけど」と言うと「え、俺だってその時すごいしんどかったんだからしょうがないじゃん」とか言われてしまい、ムッとした。私はただ「頑張ったよね」って言ってもらいたかっただけだったのに。

ドライすぎるなと思った。

そんな夫が今頃になって「うつって大変なんだね」みたいなことを言ってきたので、「いまさら何!?」と思ってしまったのである。悔しかったのだ。

理解してもらえなさと過剰な承認欲求の間にいる苦しさ

私はアダルトチルドレンだった。だった、というのは希望も込めて書いている。

アダルドチルドレンは認めてもらいたい欲求がそうでない人より大きく、特に恋人や家族など近ければ近いほど、認めてもらいたいという気持ちが大きくなりやすい。

そして認めてもらえないこと(もしくは自己肯定感が低いことが原因で認めてもらえていると思えないこと)に勝手に傷ついて悲しく、苦しくなり、精神を病みやすい。もっと言うと相手のことも責めて傷つけやすい。

だから近い存在であればあるほど、自分と相手を「分離」することが必要となる。別の言い方で言えば「その人に期待しない」ことをしっかりと頭で認識しなければらない。

私は夫に『うつ・ACがどれだけ辛いのか、自分がうつ・ACを克服しつつあることがどれだけすごいことか』を分かってもらいたいと無意識に強く思ってしまっていたのだと思う。無論、そんなことは夫には分かるわけがないのだが。

だからその「分かってもらえなさ」に勝手に苛立ち、悲しみ、憤慨し、責めてしまっていたのだ。その結果、向こうも「俺だって!」という風にムキになって険悪なムードになってしまっていた。そうなりたいわけじゃないのに。

これが難しさなのだ。

近い存在だからこそ、分かってほしい。分かってくれて当然でしょ?と思う。しかしそれは当然ではない。むしろ、他人なのだから「分からなくて当然」なのである。夫だからって自分と同じにしてはいけない。

頭では分かっているのに実際に相対すると難しさがよくわかる。夫はドライだが、決して無関心ではなかった。実際に夫なりに話を聞いたり支えてくれていた。私が勝手に悲観して傷ついていただけだったのだ。

人を愛することは難しい

人を愛するってのは難しいな。普通なら「うつについて分かってきたんだ、嬉しい」で終わりのはず。結局自分のことばかり考えてしまっている。こういう時にすごく自覚する、自分はアダルトチルドレンをまだ克服仕切れていないということに。自立できていないことに。

強くなければ愛することはできないのだと思う。逆に言えば、愛することで精神的に自立できる。それは相手のために生きるということであり「自分を見て!」という自己中心性から解放されるということだからだ。 

夫が理解できてきたと言っているのに、未だに分かってもらえてなかったことを悔しがる子供みたいな気持ちを持っていることを恥じる気持ち、分かってもらいたくても一人で孤独だった気持ち、それでもここまで必死に精神的自立を目指して自分と闘ってきた自分の強さ、思い出したうつの辛さ苦しさ、もう戻りたくない気持ち、夫が理解してくれたことを素直に嬉しいと思う気持ち、全てがごっちゃになって一夜明けて泣いた。

自己中心性から逃れて人を愛することは難しいけれど、諦めたくない。どんなことがあっても夫を責めたりしたくない。昔より自分のことを客観的に見られるようになってきているし、確実に前進しているから、きっとできると思う。

相手を責める時というのは自分のことしか考えてない時に多い。なので相手が自分にしてくれていることや、自分から愛することを忘れないように生きていきたい。

人生まだまだこれからやー