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Amuhara Living

暮らしをアクティブに楽しむ

「自分はこのままでいい」という自己受容をなんとなくし切れなかった理由

自分を受け入れるのは簡単じゃない、

だからこそ病気を治すように真剣に取り組むのだ。

 

こんにちは、Ayumiです。

私は2年前くらい前から「自分を受け入れる為のトレーニング」に勤しんできたわけですが、どうもこの数ヶ月自分を受け入れ切れていなかったようで、年始に色々重なったこともあってまた鬱みたいになってしまっていました。

今は大丈夫になって割と普通に日常生活を送れているんですが、「なぜ自分を受け入れきれなかったのか」を考えたので今日はそれをアウトプットします。

自分を受け入れきれないな、という方は是非参考にしてくださいね。

ひどい状態になる前の状況とか

まず、ここ数ヶ月の私の状況はこうでした。

・バイト週1(今は週3)
・特に頑張っているものがない(と思っていた)
・わりと暇、時間がある

 

私は、2年前に「生きているだけでいいんだ」と思えるようになるための自己受容のトレーニングをし始め、最初の数ヶ月間必死にやって良くなってきました。なのでそれ以降トレーニング自体はやらずに自分の好きなことをしたりして自分を労わりながらバイトを週4とかで頑張ってやって、メンタルもかなり安定していました。

去年の夏くらいからバイトを週1にしまして、余った時間でブログを書いたり好きなことやったりしていました。夫が海外の大学院を受験していることもあってストレスはかなりありましたが、なんとかちゃんと日々楽しく生活していたと思います。

でもそれでも過去最大レベルの鬱の波が押し寄せてしまいました。原因は、表面上は受け入れて普通に生活していたと思っていても、心の中では自分を受け入れきれていなかったからだと思います。

「自分を受け入れきれなかった」原因

前進していないという実感があったから

まず、私の価値観として頑張ってるものがなくても人は「存在しているだけ」というレベルで自分を受け入れられると思っていますしそうなるべきだと思っています。

しかし、この間アドラーの「嫌われる勇気」を読んだのですが、その本に「人は進歩を求める生き物」だと書いてありました(カントはこれを"傾向性"と呼んでいます)。そもそもとして。これは初めて知ったのですが、これを知った時に、「あ〜だからモヤッとしていたのか」と思いました。

そもそも人間は前進したいのに、私は何も頑張ってなかった(正確には「私は頑張っている」という実感がなかった)から受け入れようとしても何となく受け入れきれず、さらに夫の周りとかを見て自己嫌悪に無意識になっていたのかな、と。

自分でとても納得しました。やっぱり人間は何か前進している実感がないと受け入れきれないんだなって。前進の実感がないまま「何でもない自分を受け入れよう」だと無理があるんだなって。

大事なのは「実感」

ただここで大事なのは「前進しているという『実感』をすること」だと思っています。決して何か結果を出さないといけないとかではありません。何か「すごいこと」を達成しないといけないとかでもないです。

結果を出さないとダメ、となると存在レベルで受け入れていないことになってしまいます。私は「そのままの自分でもいい」「生きてるだけでいい」という存在レベルでの自己受容をしたいので、こう考えると息がつまるし自己受容できなくなってしまいます。

なのであくまでも大事なのは「どんな小さなことであれ前進したという実感をすること」なのではないかと思います。

私は日々やることをやっていましたが自分自身で「前進しているという実感」を感じていなかったため自分を受け入れきれなかったのだと思います。

これからは何かする度に「前進した!」と自分の頭に叩き込もうと思います。

ただ、私の場合「前進したい度合い」が人より強いので自分の性質に合った「実感」が必要

人によって「前進したい度合い」が違う

そこで夫がこの前、「前進したい度合いも人それぞれで、Ayumiはそれが強いんじゃないか。だから何か頑張っている実感が人より重要なのかも」みたいなことを言っていました。それはそうかもしれません。

また、私のバイト先の同僚にこの前「そういう風に『向上したい』って思えるのがすごいですよね。僕は最終的に『まあいっか』ってなっちゃうんですよ」と言われました。

私からしたらその「まあいっか」が死ぬほど欲しいんだけどと思いましたが、やはりこの話からも人によって「前進したい/向上したい度合い」が違うことがわかります。

「そのままの自分」=「前進したい度合いが強い自分」だから自分が満足でき「前進した実感」を感じられそうなことを与えてあげる

人によってこれは違うので、「自分はわりと人より過剰に向上したいタイプなんだ」ということをまず受け入れようと思いました。だから前進している実感が少ないと、何もやっていないと感じてしまうのだと。

なので、過剰であることを受け入れた上で、だからこそ自分のために本気に取り組むことを意図的に決めるのがいいのかなと思いました。時間のある今は特に。

  • そのままの自分=前進したい度合いが強い自分

であるので、このように「性質」として自分をしっかり客観的に捉えてあげて、その上で自分の喜びそうなことをしてあげる。

私の場合、上にも書きましたが、具体的には自分が頑張るエサになるものを積極的に自分に与えてあげる、というのがいいのかなと思いました。できれば日々やれるのがいいかな。そして日々「前進した!」と自分に呼びかけよう。

それだときちんと「前進を実感」できそうです。

 

これまでは私は「そのままの自分」=「何もやっていない自分」と考えていたのだと思いますが、それを客観的なものに置き換えたいと思います。そしたら上に書いたみたいに、より具体的な自分を大事にする方法が見つけられる気がします。

しっかり自分を受け入れられていないと上辺だけ取り繕ってても失敗する

自分のことを大事にする手段はいくらでもあって、例えば美味しいものを食べるとか、栄養豊富なものを食べるとか、運動や瞑想をするとか、いい香りでリラックスするとかいろいろあります。

しかしながら、やはりこれは本当に心の底から自己嫌悪の感情をなくさないと、つまり自分を受け入れられていないと、あまり意味がないかもと思いました。順序の問題で。

完全に意味ないってわけじゃないんですよ。意味はありますが、自己受容をできていないと根本の解決には至らなくて生きづらさが続いてしまうと思っています。

私はこの上に書いたようなことはいろいろとやってきましたが、結局、受け入れきれずに心が癒しきれてなかったから最低の状態までまたなってしまいました。

自己受容は苦しんだ時間が長ければ長いほど、時間を要する。だからこそ本気で取り組もうと決めました

本当にヤバイ時ってのは「死にたい」じゃないんですよね。そんなこと考える暇もないっていうか、私の時は「あ〜これ衝動で逝くわ」って感じでした。同時に心に支配されて死にそうな時、私が思ったのは「死にたくない」でした。まあこれはこっちが勝ったからですけど。。こっちが負けたらどうなっていたことか。

まあそれはいいんですけど、だから、私はずっと一応心のトレーニングに取り組んだりしてきたんですけど、「自分を受け入れる」って簡単じゃないんだなと思います。何せ20数年もの間、「受け入れない考え方」をして生きてきたのですから。

 

冒頭で、以前は最初の数ヶ月間だけやって良くなってきたからやめたと書きましたが、今回そういうことはやめて本気で取り組もうって思いました。

「嫌われる勇気」に、自分の考え方とかライフスタイルを変えるには、気づくまでの時間の半分の時間がかかるって書いてありました。これ通り考えるならば私の場合、今26歳だから26+13=39ということで39歳まで続けて初めて定着するということになります。

気が遠くなります。。

でも私は絶対にもう同じことで苦しみたくないので、本気で取り組むと決めました。本気でやれば自分にしっかり返ってくるはずです。

コメントでもらった参考になる考え方

以前、私のブログに時々コメントを下さるきょももさんという方からこんなコメントをもらいました。

糖尿病みたいなものですね。自分でインスリンを打たないといけない。
私たちと括っていいのか分かりませんが、インスリンのストックを切らさないようにしないといけないですね。 

これは素晴らしい考え方だなって思いました。こういう自分も受け入れて向き合っているからこういうことが考えられるんですよね。毎日やろうって。

精神的に病みやすい方は自分のことを「恥ずかしい」と思いがちですが、もう開き直って「自己嫌悪になりやすいんだからしょうがないじゃん!インスリン上等!」って感じで毎日心のトレーニングに励みたいと思います。

地道な運動で脂肪が少しずつ落ちていくように、地道な練習でピアノが少しずつ弾けるようになっていくように、地道なトレーニングで自然と前向きになっていけるはずです。自己受容が定着していくはずです。

 

長くなりましたが今回はこれで終わりです。 

私とみなさんの人生に幸あれ。